紅葉を見にきたが残念ながら色付いてなく。。。
来年は親父の歳を越えるが、生きてたら見るチャンスはあるだろう

建築学会のおかげか、内部はだいぶ綺麗になっていた。
姉上が奮闘して掃除したのであろう。

紅葉を見にきたが残念ながら色付いてなく。。。
来年は親父の歳を越えるが、生きてたら見るチャンスはあるだろう

建築学会のおかげか、内部はだいぶ綺麗になっていた。
姉上が奮闘して掃除したのであろう。

日本建築学会大会 九州の関連行事で「孤風院のこれからについて考える」があるらしい。
建築学会なのでアカデミックな観点で大いに議論いただければ幸い。
さて、私は登記としての所有者ではあるが、「孤風院については口出ししない」と決めているので、「これからは」専門家の姉が決めればよいと思っている。
一個人の思い出としては物心ついたときから夏休みはここで強制労働となり、友人たちがいる東京から離れるのがルーティンになったのは少なからず自分の性格に影響を及ぼし、かつこの建物にお金が吸い取られたことによる家庭の”貧乏”も、自分が「資本原理に忠実」と言われるようになったことにも繋がると思う。仕事柄インターネット業界どっぷりというのもあるが、社会人になり資本社会に触れた瞬間に「あれ?世の中は金がないとどーにもならん!」と気づき、そこから資本原理からかけ離れた行為に対しての絶望感というか、反面教師的観方が植え込まれたのかもしれない。
そういう意味では建物が人間に及ぼす影響とは大きい。。。
そして、残念ながら?”超ド貧乏”とまでいかなかった環境が、億万長者を目指すまでのカネへの嗅覚とか執着が湧かなかった原因かもしれないし、単に自分のカネもうけの才覚のなさかもしれない。億単位で売れるように会社を大きくできなかったのもあるし、トレードで見た場合にGoogleを’99年から使っていたのに何故 株を買わなかったのか、、、NVIDIAもなぜ買わなかったのか、、、ああ金があればいくらでも補修できたのに。。。
閑話休題
建築関係者でないし肉親だから言える発言となるが、「孤風院」は亡父の狂気ともいえるロマンティズムと、これを継続しようとする頑強な意思を持つ姉 2人の建築家としての専門性と労働力の搾取の結晶だと思っている。
(もちろん、亡父の関係者、熊本の方々のご助力あっての今がある。これには感謝しかない。)
で、「結晶」だからこの建物を見る人に大いに感動を与えるのである。
この建物をみて心が1mmも動かない人はいないと思う。
なぜ、こんな場所に、こんなデカイのがあるのか。
圧倒的な違和感と、圧倒的なスケールと、それが存在し続けている事の凄さにビックリするわけで。
しかして。
この2人のプロフェッショナルから「知恵」「カネ」「労働力」の3点セット搾取なしには、あの建物の存続は、ない。
ハッキリ言うが、綺麗ごとだけで建物は残らないし残せない。
(だから、私は古い建物の保存をうわべだけいう人は心の底から大嫌いだ)
自分が子供だったり、若かった時には全然 分かってなかった。
なまじっか強制的に参加させられていたので、分かってなかったのかもしれない。この辺りはカルトに生まれた子供が外界を知らなかったのと同じスキームだ。
もちろん、世の中のマジョリティを押さえた中世からの資本主義、プロテスタンティズムの意義を1mmも分かってなかった。
が、一通り 世の中というものを経験した今だから言える。
日本において残っている木造建築のほとんどは寺社仏閣。
つまり宗教的なスキームなしでは継続は不可能なのだ。
・建築物の専門家の知見を吸い込む術
・お布施等の集金力
・お坊さんの修行としての掃除も含めた労働力
があるから残る。
どれかが欠けても建物は残らないし、残せない。
宗教の是非という意味ではない。スキームが大事なのだ。
カネと労働力(カネがあれば労働力を買うということはできるが)だけがあっても、専門的な知見がないと建物は治せない。
幸い、「孤風院」は亡父と姉からこの3点を吸い続けることができた。
しかし、である。
自分は億万長者でもなく、すでに父が他界した歳となりはて。
息子たちも建築の道には進まない。
つまり、詰んでいる。
もう木島家から吸い続ける事はできない。
詰んでしまった。
ちなみに、これからの行政はどんどんカネが無くなる時代になる。(だから私はGovTech東京で、少しでも世間のお役に立てばと思って働いている)
だから行政に頼れば建物は残るという甘い発想はフリーランチ的な欺瞞でしかない。
先日、上野の奏楽堂を観たのだが、佇まいは非常に「孤風院」に似ていると感じた。設立が1890年だから、時代的に似ていて当然ではある。

同じような建物ではあるが、違いは熊本大学から見放され、木島家という個人に吸い付かざるを得なかった「孤風院」と、東京芸術大学という稀有なブランドがあり「知恵」「カネ」「労働力」に吸い付けた運命である。
かくも運命とは残酷だと思う。
今回も移動手段はBromptonのみだったので
事前に宅急便で服を送るついでに鯖味噌缶も送っておき
買い物は阿蘇駅の道の駅でキャベツ じゃがいも ブルーベリー いまきんの肉みそを買ってから孤風院へ
あとは週末に内牧のスーパーへ
菊池さんにたくさんお刺身を差し入れ頂いた
コンビニで買えばいいと思いつつ、ついつい気分転換も兼ねて作っちゃうんだよな。。。
野菜をとらねばとなるのもシロさんの副菜の呪いみたいな。。。
2024/9/17
朝:ヨーグルト
昼:カップ蕎麦と鯖味噌缶詰
夜:空港でラーメン

2024/9/16
朝:ブリトー 野菜ジュース
昼:海鮮定食
夜:冷凍餃子 玉ねぎとベーコン炒め 納豆 味噌汁 ご飯

2024/9/15
朝:パン ソーセージ ヨーグルト ミニトマト
昼:生姜焼き 納豆 ジャガイモ キャベツ タマネギ ベーコンの味噌汁
夜:セブンイレブンのハンバーグ、温泉卵 にんじんのグラッセ 納豆 味噌汁 ご飯
2024/9/14
朝:ブリトー
昼:カステラ ヨーグルト
夜:ハンバーグカレー温玉付き ジャガイモ キャベツ タマネギ ベーコンの味噌汁
2024/9/13
朝:バターロール 温玉 ヨーグルト 野菜ジュース
昼:豚汁 カステラ
夜:もやしと卵とベーコンの炒め もずく酢 鯖味噌缶 キャベツと肉みそ ジャガイモ キャベツ タマネギ ベーコンの味噌汁
2024/9/12
朝:じゃがいものバターのせ
昼:人参とタマネギがたっぷり入ったハンバーグカレー 野菜ジュース
夜:もやしと卵とベーコンの炒め 納豆 豚汁 ご飯
2024/9/11
朝:ルーベリーヨーグルト
昼:豚汁
夜:おでん もずく酢 きゅうりと肉みそ 豚汁 ご飯
2024/9/10
朝:温玉 ブルーベリーヨーグルト
昼:塩ラーメンに山椒の葉を添えて
夜:お刺身 鯖味噌缶 ミニトマト きゅうりと肉みそ キャベツの味噌汁 ご飯
2024/9/9
朝:温玉 キャベツの味噌汁 肉みそご飯
昼:ソフトクリーム2つ
夜:豚肉炒め じゃがいもとアスパラベーコン炒め 納豆 キャベツの味噌汁 ご飯
2024/9/8
朝:温玉 ブルーベリーヨーグルト ロールパン
昼:塩ラーメン 温玉 山椒のせ
夜:菊池さんの刺身4種 人参のグラッセ 玉ねぎ炒め ミニトマト キャベツの味噌汁
2024/9/7
朝:ブルーベリーヨーグルト ロールパン
昼:いまきんの赤牛丼
夜:ベーコンとアスパラの炒め物 お刺身 温玉 胡瓜とキャベツを肉みそで
2024/9/8
朝:サンドイッチ ブルーベリーヨーグルト
昼:キャベツ炒め 冷凍カルボナーラにベーコン
夜:冷凍餃子 ジャガイモのバターのせ 肉みそ 韓国のりをあえたキャベツ
2024/9/5
昼:赤牛すき焼き弁当
夜:ベーコンとキャベツの炒め物 ミニトマト 韓国のり 鯖味噌缶 味噌汁

諸事情で西側の檜を切ったらしく。
記録として業者さんから頂いた写真だけアップ
40年以上経っているから、なかなか立派だったようだ。



今回は1週間の滞在なので、できるだけ料理しないようにと思いつつ。。。
夜まで会議があると、コンビニに行けないので(暗い、イノシシ、マムシが怖い)結局 自炊。
2023/9/13
昼:ごはん、あそ路で買った煮込み、おでん
夜:ごはん、魚の缶詰、おでん、あそ路で買った漬物、納豆、わかめスープ
2023/9/14
朝:バナナ、ヨーグルト、コーヒー 野菜ジュース
昼:冷凍五目焼きそば
夜 カレー オクラスープ 瓜漬物
2023/9/15
朝:バナナ 野菜ジュース
昼:いまきん 赤牛丼
夜:アジの刺身 ホルモン オクラスープ
2023/9/16
朝:パン ヨーグルト キウイ 野菜ジュース
昼:紅蘭亭の太平燕 パイコーセット
夜:肉野菜炒め、しめじとオクラの味噌汁、納豆
2023/9/17
朝:パン ヨーグルト キウイ 野菜ジュース
昼:肉野菜炒めラーメン 煮卵
夜:トマトカレー アスパラ きのこ バターソテー しめじとオクラの味噌汁
2023/9/18
朝:パン 野菜ジュース
昼:豚肉炒め キャベツと肉味噌 しめじとオクラの味噌汁
夜:豚汁 トマト鳥炒め
9/19火
朝:ヨーグルト パン
昼:ラーメン 肉野菜炒め 煮卵
夜:豚汁 トマト鳥炒め アスパラしめじ ご飯抜き
9/20水
朝:バナナ 野菜ジュース
昼:豚汁
1976年に孤風院が移築された時と2022年現在、46年経つとだいぶ変わってきた。
移築当初の写真を眺めると、何もない草むらにポツンと建てられている。

これが2022年になるとスギやケヤキなど含めて孤風院の高さを越えているのが分かる。

これ、2000年くらいには、ここまで木は大きくなかった印象がある。
となると、この20年で急激に大きくなった理由が何かあるように思える。
実際、この場所はもともと溶岩がむき出しの場所で裏庭はごつごつした岩だらけだった。しかし、今回 眺めてみるとふんわりとした土に覆われ、踏みしめると柔らかい。
想像でしかないが、ある時から落ち葉などが土となり栄養が増え、樹木の栄養が増えたのではないか。それが加速度的な成長に寄与したような気がする。

樹木が大きくなったことで、風や紫外線から建物を守ってくれるのであれば、今まで孤風院が守っていた樹木が今度は建物を守っているのかもしれない。


朝、ゴミ出しついでに斜めからの外観。
可燃ゴミは月曜日と木曜日というメモも。




2001年当時。
樹木が1Fの高さなのが分かる。2022年は20年たってだいぶ成長し、建物を樹木が守る形になってきた。
ちなみに当時の西側 北側は草むらだったが、2022年は普通の家が建っている。
こちら建築家 木島 安史が熊本大学の講堂を保存するために私邸にし「孤風院」と命名した建物である。経緯は書籍を参考にして頂きたい。本サイト管理者は孤風院 所有者であるがIT専門で建築専門ではない。なので、専門的問い合わせ(撮影利用も含め)は建築家の姉にお願いしたい。
インターネット上ではこちらのサイトが一番正確に記載されている。
また焼酎 二階堂のCMなどTVで使われたこともある。
しかしながらこれらのデジタルコンテンツが無くなる可能性もあるので、そのうち詳細を記載していこうと思う。
※注意事項
孤風院は木島家が所有する私邸であるので、許可なく敷地内に立ち入ることは私有地への侵入として固く禁止させていただく。防犯上の理由だけでなく特にタバコの火の不始末などによる火災が非常に怖い。従ってGoogleMap上への位置情報掲載もお断りする。こちら、ご理解いただけると幸いである。
所在地:熊本県阿蘇市
設計:木島 安史
構造:木造
建物面積:193.50㎡
延床面積:219.35㎡
敷地面積:957㎡
標高:500m
竣工:1908年(明治41年)に熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)が開校した際、その講堂として建築。
延床面積:219.35㎡
移築:1975年~
用途:大学講堂→個人住宅→ワークショップやリモートワークとして利用







経緯:移築前の建物は、1908年に熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)の講堂として建てられた。1974年に取り壊しが決定した際、建築家 故 木島安史が自ら解体費および移築費用およそ1800万円で阿蘇に住居として移した。孤風院の命名はcoffin 棺桶、玉手箱ということらしい。
2022/8に次男と滞在時の写真をいくつか。
ちなみに訪問は2008年以来の14年ぶり。




