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孤風院

孤風院の西側 檜

諸事情で西側の檜を切ったらしく。

記録として業者さんから頂いた写真だけアップ

40年以上経っているから、なかなか立派だったようだ。

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2023/9 孤風院滞在時の献立

今回は1週間の滞在なので、できるだけ料理しないようにと思いつつ。。。

夜まで会議があると、コンビニに行けないので(暗い、イノシシ、マムシが怖い)結局 自炊。

2023/9/13
昼:ごはん、あそ路で買った煮込み、おでん
夜:ごはん、魚の缶詰、おでん、あそ路で買った漬物、納豆、わかめスープ
2023/9/14
朝:バナナ、ヨーグルト、コーヒー 野菜ジュース
昼:冷凍五目焼きそば
夜 カレー オクラスープ 瓜漬物
2023/9/15
朝:バナナ 野菜ジュース
昼:いまきん 赤牛丼
夜:アジの刺身 ホルモン オクラスープ
2023/9/16
朝:パン ヨーグルト キウイ 野菜ジュース
昼:紅蘭亭の太平燕 パイコーセット
夜:肉野菜炒め、しめじとオクラの味噌汁、納豆
2023/9/17
朝:パン ヨーグルト キウイ 野菜ジュース
昼:肉野菜炒めラーメン 煮卵
夜:トマトカレー アスパラ きのこ バターソテー しめじとオクラの味噌汁
2023/9/18
朝:パン 野菜ジュース
昼:豚肉炒め キャベツと肉味噌 しめじとオクラの味噌汁
夜:豚汁 トマト鳥炒め

9/19火 
朝:ヨーグルト パン
昼:ラーメン 肉野菜炒め 煮卵
夜:豚汁 トマト鳥炒め アスパラしめじ ご飯抜き

9/20水
朝:バナナ 野菜ジュース
昼:豚汁

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孤風院 未分類

孤風院の植生

1976年に孤風院が移築された時と2022年現在、46年経つとだいぶ変わってきた。

移築当初の写真を眺めると、何もない草むらにポツンと建てられている。

これが2022年になるとスギやケヤキなど含めて孤風院の高さを越えているのが分かる。

これ、2000年くらいには、ここまで木は大きくなかった印象がある。

となると、この20年で急激に大きくなった理由が何かあるように思える。

実際、この場所はもともと溶岩がむき出しの場所で裏庭はごつごつした岩だらけだった。しかし、今回 眺めてみるとふんわりとした土に覆われ、踏みしめると柔らかい。

想像でしかないが、ある時から落ち葉などが土となり栄養が増え、樹木の栄養が増えたのではないか。それが加速度的な成長に寄与したような気がする。

樹木が大きくなったことで、風や紫外線から建物を守ってくれるのであれば、今まで孤風院が守っていた樹木が今度は建物を守っているのかもしれない。

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孤風院 2022/09/26

朝、ゴミ出しついでに斜めからの外観。

可燃ゴミは月曜日と木曜日というメモも。

孤風院 北西からの外観
曇りだと、当然 中も暗い。デスクライトを用意して良かった。
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孤風院 2001年

2001年当時。

樹木が1Fの高さなのが分かる。2022年は20年たってだいぶ成長し、建物を樹木が守る形になってきた。

ちなみに当時の西側 北側は草むらだったが、2022年は普通の家が建っている。

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孤風院

こちら建築家 木島 安史が熊本大学の講堂を保存するために私邸にし「孤風院」と命名した建物である。経緯は書籍を参考にして頂きたい。本サイト管理者は孤風院 所有者であるがIT専門で建築専門ではない。なので、専門的問い合わせ(撮影利用も含め)は建築家のにお願いしたい。

インターネット上ではこちらのサイトが一番正確に記載されている。

また焼酎 二階堂のCMなどTVで使われたこともある。

しかしながらこれらのデジタルコンテンツが無くなる可能性もあるので、そのうち詳細を記載していこうと思う。

※注意事項

孤風院は木島家が所有する私邸であるので、許可なく敷地内に立ち入ることは私有地への侵入として固く禁止させていただく。防犯上の理由だけでなく特にタバコの火の不始末などによる火災が非常に怖い。従ってGoogleMap上への位置情報掲載もお断りする。こちら、ご理解いただけると幸いである。

所在地:熊本県阿蘇市

設計:木島 安史

構造:木造

建物面積:193.50㎡

延床面積:219.35㎡

敷地面積:957㎡

標高:500m

竣工:1908年(明治41年)に熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)が開校した際、その講堂として建築。

延床面積:219.35㎡

移築:1975年~

用途:大学講堂→個人住宅→ワークショップやリモートワークとして利用

西側窓
2Fより
食堂
内部 正面
正面と天井
寝室
移築当初の写真

経緯:移築前の建物は、1908年に熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)の講堂として建てられた。1974年に取り壊しが決定した際、建築家 故 木島安史が自ら解体費および移築費用およそ1800万円で阿蘇に住居として移した。孤風院の命名はcoffin 棺桶、玉手箱ということらしい。

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孤風院 2022/8

2022/8に次男と滞在時の写真をいくつか。

ちなみに訪問は2008年以来の14年ぶり。

正面。周りの木が建物より高くなっていた
建物の中はさほど震災の影響はない(もちろん、震災直後に姉が奮闘して片づけたから)。阿蘇神社の鐘楼がつぶれた事を考えると、非常に幸運であったと言える。真ん中に閻魔のような亡父が鎮座していたからかもしれない。。。
震災で食堂の左官が落ちたので元と同じように修復されていた。ここで仕事等をするにはやや暗いので、LEDライトに付け替えた。
東側の樹木も軒並み大きくなっている。