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老化

老化について

来月誕生日になるが、そろそろ真正面から老化に向き合う必要を感じてきた。

2025年、転職して環境が変わったことも大きいと思うが、自分の老化を感じることが増えたと思う。

数値的に測定してないし、人体全部を測定することはできないので、あくまで感覚でしかないが。

まず視力。視力検査は変わらない部分があるが、とにかくピントが合わない。つまり老眼だ。

ピントが合わないので、文字を読みにくい。中心だけ読めるが周りが読めない。つまり読書のスピードが大幅に落ちる。

体内年齢も落ちている。

体組成計の乗ると、自分の年齢よりも5歳は若いが、去年より+1歳 上がっている。自らいうのもアレだが、周りの50半ばに比べれば、太ってない、髪の毛も残っている方なので若くは見えるだろうが。

パーソナルトレーニングは継続してベンチプレスは+20キロ増えたが、持久力は落ちているように思える。これも長距離走などの測定や肺活量を測定してないのでわからないのだが。。。

あとは、記憶力。とにかく人の顔と名前が入らない。入っても人命がすっと出てこない。

昔から異常に記憶力がよかった訳ではないが、加速度的に落ちた感覚がある。

人間の感覚は1次関数でなく、微分であると習った。

そういう意味で加速度的に落ちた感覚というのは微分的だ。

50代も半ばになっているのでこれは当たり前かもしれない。

そして、アレコレ落ちることに対して逃げる訳にもいかない。

で、落ちることに対してどのように向き合うか。

無理に抗うのも違うと思う。

おそらく、落ちることに対してだましだまし対処するのが正解なんだろう。

ただ、人間というのはそれに真正面から正対できるほど柔軟にはできてないし、特に仕事において落ちてますと正面切っていう訳にもいかない。つまり抗う姿勢はどうしても必要となる。

抗うにもパワーが必要である。でもパワーも集中力も若いころと違ってでない。この矛盾したテーマに向き合う方法を見つける事が老化へのテーマなんだろう。

マイナスの話ではあるが、自分自身に対してコレを記録していくことが大事に思えたので書いてみた。

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孤風院

孤風院の紅葉

楓があちこちに自生しているので、さぞかし紅葉の季節は綺麗だろうとおもっていたのだが

姉から送られた写真を見ると、赤ではなく黄色が多いようだ

これにはビックリ

そして、これだけ落ち葉があれば、土ができるんだなと

(ミミズが生息し、それを狙って猪が来ると)

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孤風院

孤風院 2025/11/2-4

紅葉を見にきたが残念ながら色付いてなく。。。

来年は親父の歳を越えるが、生きてたら見るチャンスはあるだろう

建築学会のおかげか、内部はだいぶ綺麗になっていた。

姉上が奮闘して掃除したのであろう。

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海底ケーブル

東京都は小笠原までカバーしているので島しょへの対応というのがある。

で、各島への海底ケーブルも重要なインフラになるわけなのだが、こんなにケーブル引かれているとは知らなかった!

このサイトをみると面白いのだが、太平洋、大西洋ともにアメリカからすごいケーブルが引かれている。

https://www.submarinecablemap.com

そして、日本も各所にケーブルが陸揚げされているし、各島も中継ポイントになっている。

なるほど、こりゃケーブルの維持は大事なのねと思った次第。

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旅行における気力 体力 財力

何事においても気力 体力 財力が必要である。

もちろん、それぞれはバランスであって、若い頃は気力 体力があっても財力がない。でも気力と体力でカバーしてしまえば良いのでバックパッカーで回れば済む話である。

で、歳をとったら気力 体力が減るので、財力によって、良い宿に泊まったり、新幹線を使って時間を節約する。

さて、若い頃は外国が好きだったし、海外旅行にも行っていた。

ところが50代になった今、多少の気持ちはあるものの、積極的に行きたいとならない。

なぜだろうか?

一つには長時間のフライトが苦である。

3時間以上、狭い座席に座りっぱなし が辛いという認識が埋め込まれてしまっている。

鉄道のように多少歩けるのは問題ない。

しかして飛行機は座席でシートベルトするのがデフォルトなので、ふっと歩くとかはできない。

利用した事はないが、ファーストクラスとかビジネスクラスなら、行こうと思うのだろうか??

この時に財力を考えると気軽に とはならない。

そのお金があれば国内で行きたいところを複数行けばとなってしまう。

かくして、国内に回帰し続けているのである。

先月は熊野。

コレから諏訪湖。

来月は永平寺。

再来月は阿蘇。

12月には金沢に行きたい。

さて、海外に行く事はあるのかしら?

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74歳

stingのコンサートに行ってきた

来月10月で74歳らしい

腕太いし、胸板も厚い

歌も、ベースも上手い

スゴイよ。。。

police時代から好きだったので、至福の時間だった

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寄付

会社が社会的ほにゃららについて寄付すべき と言う人は そもそも株式会社がどうやってできているか、統治とは何かを考えた事があるのだろうか?

社会的意義 というテーマだけで株主の投資資本を毀損する行為とか責任について考えた事があるのだろうか?

メセナというのがブームになったが、なぜ定着しないか考えた事があるのだろうか?

日本の資本主義 市場に対しての基礎知識の無さは 99を知らないレベルと同じくらい罪深いと思った方がいい。

そう言う意味で市場や資本主義から離れ、社会的地位を持っている宗教は凄いと思う

(そこを目指すつもりは皆無だが)

King of pain

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熊野でパックラフト

夏休み。次男を連れて熊野三山に行ってきた。

神社にお参りするのもよいが、リバーカヤックができるだろうと思って探したら、良いツアーがあったので1日楽しんできた。

お世話になったのはこちらの川旅屋さん

ファルトボート、インフレータブルなどいろいろ乗ってきたが、今回 初めてパックラフトに乗った。

雑誌では見たことがあるが、軽いし安定性がすごい。

ただ、向かい風だと表面積が多い分、押し返されるのでこの点は注意。

ともあれ、自然をたっぷり満喫できた。普通の人は半日コースでも十分楽しめると思う。

ちなみに、道路も家も見えないので四万十川を下るより大自然感が強いかも。

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猛暑

もう8月下旬になったのだが。。。

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孤風院

孤風院のこれからについて考える

日本建築学会大会 九州の関連行事で「孤風院のこれからについて考える」があるらしい。

建築学会なのでアカデミックな観点で大いに議論いただければ幸い。


さて、私は登記としての所有者ではあるが、「孤風院については口出ししない」と決めているので、「これからは」専門家の姉が決めればよいと思っている。

一個人の思い出としては物心ついたときから夏休みはここで強制労働となり、友人たちがいる東京から離れるのがルーティンになったのは少なからず自分の性格に影響を及ぼし、かつこの建物にお金が吸い取られたことによる家庭の”貧乏”も、自分が「資本原理に忠実」と言われるようになったことにも繋がると思う。仕事柄インターネット業界どっぷりというのもあるが、社会人になり資本社会に触れた瞬間に「あれ?世の中は金がないとどーにもならん!」と気づき、そこから資本原理からかけ離れた行為に対しての絶望感というか、反面教師的観方が植え込まれたのかもしれない。

そういう意味では建物が人間に及ぼす影響とは大きい。。。

そして、残念ながら?”超ド貧乏”とまでいかなかった環境が、億万長者を目指すまでのカネへの嗅覚とか執着が湧かなかった原因かもしれないし、単に自分のカネもうけの才覚のなさかもしれない。億単位で売れるように会社を大きくできなかったのもあるし、トレードで見た場合にGoogleを’99年から使っていたのに何故 株を買わなかったのか、、、NVIDIAもなぜ買わなかったのか、、、ああ金があればいくらでも補修できたのに。。。

閑話休題

建築関係者でないし肉親だから言える発言となるが、「孤風院」は亡父の狂気ともいえるロマンティズムと、これを継続しようとする頑強な意思を持つ姉 2人の建築家としての専門性と労働力の搾取の結晶だと思っている。

(もちろん、亡父の関係者、熊本の方々のご助力あっての今がある。これには感謝しかない。)

で、「結晶」だからこの建物を見る人に大いに感動を与えるのである。

この建物をみて心が1mmも動かない人はいないと思う。

なぜ、こんな場所に、こんなデカイのがあるのか。

圧倒的な違和感と、圧倒的なスケールと、それが存在し続けている事の凄さにビックリするわけで。

しかして。

この2人のプロフェッショナルから「知恵」「カネ」「労働力」の3点セット搾取なしには、あの建物の存続は、ない。

ハッキリ言うが、綺麗ごとだけで建物は残らないし残せない。

(だから、私は古い建物の保存をうわべだけいう人は心の底から大嫌いだ)

自分が子供だったり、若かった時には全然 分かってなかった。

なまじっか強制的に参加させられていたので、分かってなかったのかもしれない。この辺りはカルトに生まれた子供が外界を知らなかったのと同じスキームだ。

もちろん、世の中のマジョリティを押さえた中世からの資本主義、プロテスタンティズムの意義を1mmも分かってなかった。

が、一通り 世の中というものを経験した今だから言える。

日本において残っている木造建築のほとんどは寺社仏閣。

つまり宗教的なスキームなしでは継続は不可能なのだ。

・建築物の専門家の知見を吸い込む術

・お布施等の集金力

・お坊さんの修行としての掃除も含めた労働力

があるから残る。

どれかが欠けても建物は残らないし、残せない。

宗教の是非という意味ではない。スキームが大事なのだ。

カネと労働力(カネがあれば労働力を買うということはできるが)だけがあっても、専門的な知見がないと建物は治せない。

幸い、「孤風院」は亡父と姉からこの3点を吸い続けることができた。

しかし、である。

自分は億万長者でもなく、すでに父が他界した歳となりはて。

息子たちも建築の道には進まない。

つまり、詰んでいる。

もう木島家から吸い続ける事はできない。

詰んでしまった。

ちなみに、これからの行政はどんどんカネが無くなる時代になる。(だから私はGovTech東京で、少しでも世間のお役に立てばと思って働いている)

だから行政に頼れば建物は残るという甘い発想はフリーランチ的な欺瞞でしかない。

先日、上野の奏楽堂を観たのだが、佇まいは非常に「孤風院」に似ていると感じた。設立が1890年だから、時代的に似ていて当然ではある。

同じような建物ではあるが、違いは熊本大学から見放され、木島家という個人に吸い付かざるを得なかった「孤風院」と、東京芸術大学という稀有なブランドがあり「知恵」「カネ」「労働力」に吸い付けた運命である。

かくも運命とは残酷だと思う。